言葉を無くす、二人。 この時になって始めて、我々は自分たちがどんなに危険な旅をしていたかを認識した。
しかし、サイコロの目は、絶対である。
とりあえず暖かい食堂で緊急会議を開くことにした二人。登るのか、登らないのか。この会議の間にも、ミスターは冬コミの申込書のサークルカットの下書きを描いていました。そうなんです、冬コミの申し込みもあったんです。
そして、我々の出した結論は、『サイコロの目は絶対』。つまり、登山を決意しました。天気は大荒れです。しかし、ここで行かねば、どうでしょうバカとしての名が腐る。ここは登るべきだと判断したのです。 富士登山が決定した我々は、装備を整えるために、一旦河口湖町に戻ることにしました。実に5回目の河口湖駅。もう見飽きました。
タクシーに揺られることしばし、ショッピングセンターBELLさんに到着。ここで装備を整えましょう。RPGで言うところの、ダンジョン直前の町です(笑)。
午後5時、6回目の河口湖駅は、雨が降っていました。駅の売店で、登山用の杖を買いました。駅向かいの店で、カッパも買いました。軍手も買いました。登山装備、完成です。
しかし、そんなことで引き下がるような我々ではありません。誰もいない着替え所で長袖ジャージトレーナーを着用、雨合羽も装備して、登山スタイル完成です。 上の写真の右の方向に登山口があるのですが、まず向こうのロッジに行くまでが一苦労。風に体を持って行かれ、まっすぐ歩くことができません。 さすがの我々も、再び緊急会議。ミスターからも、「止めたほうがいいんじゃないの?」という意見が出ました。ともやも、出来ることなら帰りたい。ネタとしてつまらなくなってもいいから、帰りたい。二人の意見は、撤退で一致しました。 そんなとき、一組の男女が、登山口に向かって歩いていくのが見えました。なんと、現地の人が『絶対止めた方がいい』とまで言うほどの天候の中、登ろうという人たちがいたのです。 旅は道連れ……ということで、我々もついていってみることにしました。五合目から河口湖駅に戻る最終バスは20時45分。途中であきらめるのであれば、その時間までに戻ってくればいいのです。
始めは下りが続いていた登山道も、いよいよ上りになりました。獣道のような細い道を、枝をかき分けながら進みます。 (河口湖口ルートにそんな獣道はありません。吉田口ルートとを結ぶ道に迷い込んだようです。結果的に多少遠回りになっただけで済んだのが幸いでした。懐中電灯を持っていなかったため、看板を見落としたのが原因でした。) そんな道をしばらく登ると、一軒の建物が見えました。『富士山安全指導センター』だそうです。中にいたお兄さんが、僕たちに山小屋がどうのうな紙を渡してくれました。後から来た他のグループにも、同じ紙を渡していました。 生まれて初めての本格的な登山に、ともやはすっかり楽しくなってしまい、やたらと口数が多くなりました。ですが、ここは山です。酸素が薄いんです。そんなに無駄な体力を使ってると……。 ほら、黙っちゃった。 一方、何度か富士登山経験を持つミスターは慣れたもの。黙々と砂の斜面を歩いていきます。 途中で、外国人グループを追い越しました。なんと、シンガポールから来ているとのこと。いやいや、時差もないのにこんな夜中に登るのは危険だと思いますマーライオン。 地獄の沙汰も金次第とはよく言ったもので、富士登山も同じですよ。山小屋は結構チョコチョコとあるんですよ。だけど、そこで休憩するのに、結構なお金がかかるんですよ。そのため、所持金が少ないともやにとって、山小屋で休憩するという選択肢は無いに等しく、ひたすら登り続けるしかなかったのでした。 この後、翌朝まで写真もメモもありません。そんな余裕はひとっつもありませんでした。暴れるように吹き荒れる暴風と叩きつける雨に、ともやはその場でじっとするのがやっとの状況。岩の斜面を這うようにヨロヨロと登るのでした。汗か涙か雨粒か、顔はもうびっしょりです。頭がマトモに物を考えられません。低酸素にも弱かったか、ともや。
標高は3000メートルを越え、いよいよ天候も厳しさを増してきた時、ついにともやの足が止まりました。コレ以上無理をしたら、ネタとしてじゃなくて、本気でミスターに迷惑がかかる。そう思ったのです。このペースで登ってもご来光は見られるかもしれないけど、帰りがもっとヒドくなる。そして、冬コミのサークル参加申し込みに、間に合わなくなる。それに、万が一行き倒れになったら、誰がともやを下まで運ぶんだ? 標高3100メートル、山小屋蓬莱館で、ともやは遂に限界を認め、ここでの一泊を決定しました。1泊5500円。ミスターから借金であります。
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